
主な受賞暦:
プチョン国際映画祭:正式招待
New York festivals:入賞
東京インタラクティブアドアワード:銅賞・入賞
常盤司郎さんは、フリーで活躍する映像監督。映画「落下距離・百三十センチ・鳥」(プチョン国際映画祭正式招待作品)、映画「99%の自殺」(主演・板尾創路)、サザンオールスターズ「FILM KILLER STREET~Director's Cut~」といった作品をはじめ、TVCM、PV、アニメーションなど、数多くの映像を世に送る一方で、井上陽水やストローといったアーティストのCDジャケットデザイン、キャラクター・デザインなど、映像以外の領域にも活動の幅を広げて注目されているクリエーターです。
パズルハウスでも、広告企画のWEBムービーなど、たくさんの映像の演出を手がけている常盤さんに、自身の活動についてお話をうかがいました。
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CDジャケットデザインとか、映像以外の仕事もやってますしね。でも、単に器用な何でも屋、という風に思われたら不本意だなあ。僕の芯にあるのは、やっぱり映画。子供の頃からとにかく映画に対しての興味は強くって、近くにあった映画館には散々通ったし、家で聴いてたのも映画のサントラばっかだった気がする。当時はベタにジョン・ウイリアムズ(スピルバーグ作品などで知られる作曲家)とかだけど(笑)。あとテレビで放送された映画を、音だけカセットテープに録音して、それを聴いてたりもした。ビデオなんて無かったから、音だけで映画を思い出すわけ。
― 脳内上映(笑)。
そうそう。すみからすみまで再現する。それって、図らずも作り手側の目線を追体験することでもあったわけです。いま思うと映像監督としてのいい基礎トレーニングになったんですよ、これが。映画文法が、誰に教わったわけでもないのに身についた。当時はもちろんそんなこと考えてやってたわけじゃないけど。それで、自分でも映画を作りたくなって、進学のときに「映画監督になる」って親父に言ったら、ビール瓶が飛んできて(笑)。堅気の勤め人になってほしかったんだろうな。反対を押し切って映画の専門学校に進学したんです。この学校で、後に自分が映像教えることになるんだけど(笑)。

― 通常は、学校を出て、いわゆる助監督経験などを積んでいく…という順番になりますよね。
僕は、助監督経験とか無しに、いきなり映画監督としてデビュー作品を撮っちゃったんです。「落下距離・百三十センチ・鳥」という長編で、プチョン国際映画祭の正式招待作品になったものです。学校にいたときには実習で映画を撮るんだけど、支給されるフィルムは数本分しかない。監督ができる人は限られるわけ。みんな監督やりたくて学校に来てるやつばかりだから、誰がやるかってのは大問題。今までで一番たくさん撮ったヤツだ!って当時の先生が言ってました(笑)。その時に思ったのは、「撮りたいと思う気持ちの純度」が大切だな、ということ。もちろんアイデアも重要なんだけど、その気持ちが強い人に周りは巻き込まれていく。お前とやりたい、って言わせるチカラ。クリエイティブのチームビルティングってこういうことなんだな、ということを学んだ。だから、監督デビュー作も、そうやって撮っちゃった。予算は無かったんだけど、役者やスタッフ、総勢100人の才能が集まってくれました。僕にあったのは、「撮りたいと思う気持ちの純度」だけ。そこに、お前とやりたい、という気持ちで手弁当で集まってくれたんです。うれしかったし、これは僕の自慢なんです。
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仕事として最初に世に出たのは、テレビの音楽番組のオープニング映像だったかな。学校を出てから、ミュージックビデオの制作会社にいて、テレビ番組づくりを手伝ってたんです。やってたのは何故か「音効さん」だったんだけど、制作現場の人や、出演者のミュージシャンのみなさんにかわいがってもらって、自分が企画するコーナーを番組中にもたせてもらったりして。勝手に番組オープニング映像をつくったら、おもしろいからっていうので採用されたりね。そうこうしてるうちに、僕の映画を観た人から声がかかるようになってきたんです。井上陽水さんのCDジャケットデザインのコンペに出ないか、と声がかかったりとか。
― デザインはやってなかったのでは?(笑)
声をかけられた僕が一番驚いた(笑)。映画を観て、こいつにやらせたらきっとおもしろいものが出来るに違いない、と思ったらしいんですね。デザインなんてやったことないから、どうしたものかなあ、と思ってまずはとにかく曲を何度も聴きました。そうしたら、あるストーリーが浮かんできた。映像ですね。映像がアタマに流れてきたんです。あ、この映像を平面に定着させればいいのかって。グラフィックデザインのプロがどういうやり方をするかはよくわからないけど、僕の場合は、やっぱり映像なんですよ。「森花処女林」という曲を聴いてたら、巨大な食蟲植物があって、そこに無数の蜂が吸い寄せられるようにおびき寄せられる、という映像が浮かんだ。それを定着させたデザイン、かなりエグイのでこれはダメだろうな、というのを出したら、陽水さんが気に入ってくれて採用になったんです。陽水さんはジャケットに関しては徹底的にこだわる人で、細かい指示があるのが普通らしいんですけど、この案については一言「もっとエグく!」という指示だけ(笑)。

― サザンオールスターズのドキュメンタリー(FILM KILLER STREET~Director's Cut~)は?
これも「落下距離・百三十センチ・鳥」を観て気に入ってくれた人がサザンオールスターズのスタッフにいて、今までのサザンオールスターズとは違ったことができるんじゃないか、というので声をかけてくれました。「KILLER STREET」は、2枚組30曲のアルバムで、サザンオールスターズが“枯れるまで曲を絞り出す”というコンセプトの元に生みだした作品だった。あれだけのビッグバンドが2枚組30曲の書き下ろしっていうのは、やはり普通ではない。ある意味で、バンドの活動のある意味での「区切り」になる作品なんだな、と直観しました。それで企画書をもって桑田さんのところへ行ったんです。よくあるメイキング映像みたいな軽いものではなく、ドキュメント・フイルムを作りたい、と。しかも第三者のナレーションが入って…といういわゆるドキュメンタリー番組の文法じゃなくて、映画のテンションで撮る。編集も、エフェクトは一切使わない。カットとフェードイン/アウトだけでいく。サザンオールスターズの「区切り」になる作品なんだとしたら、それは100年後にも残るものになるかもしれない。だから、後世からみて古くなるような「作り物」っぽさは排除するんだ、と。僕がカメラ持って、現場を歩き回って、サザンオールスターズの今をひたすら見ていく。僕の目にうつったそのままをやりたいんだ、と。
― まさか、ドキュメンタリーもこれが初めて?(笑)
そう、サザンオールスターズが初めて(笑)。そしてサザンオールスターズ自体も初ドキュメントだったそうです。これを作ってる間は、他に何もする気が起きなかった。ものすごく集中して作ったんです。昼間は撮る、バンドが寝る頃に自宅に帰って、それから次の朝までずっと編集。朝になるとまた撮りにいく。その繰り返し。ツアー中も全国同行しました。回しっぱなしだから、テープが250本くらいになったかな。見るだけでも1ヶ月かかる量ですよね。月に5回くらいしか風呂にはいらなかった。ムービーチェックで桑田さんの自宅にお邪魔したとき、桑田さんが「監督、風呂はいっていきなよ」って(笑)。
― ものすごい没入ぶりですね。
このフィルムがDVD作品として発売されたときは、サザンオールスターズのファンがとてもビックリしたんだそうです。長いファンでもこんなサザンオールスターズは見たことがなかったって。でもそのくらい近づかないと、バンドの真実を撮ることはできないのかもしれない。ドキュメントって、人間対人間の勝負なんだな、と。この仕事をやって、ぐっと自分のレベルが上がったという自覚があります。節目になった仕事のひとつです。そう考えると、僕は運がいいんだと思うな。いい仕事で声をかけてもらって、その現場で成長してきたんだな、と。
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もちろん事前に徹底的に考えますよ。設計は大切です。でも、徹底的に考えたあと、作りながらのプロセスで生じる閃きもあって、僕はそれを活かしていくほうが絶対におもしろくなると信じてるんです。映画「99%の自殺」も、重要なモチーフとしてクラゲの水槽が出てきます。これ、最初の脚本にはなかったんですね。作りながらのプロセスで閃いた。直観です。神が降りるってやつ(笑)。映画に限らず、僕は作りながらのプロセスで、場合によってはそれが撮影してる現場ということも多いんですが、そこでの直観をどんどん取り入れていきますね。アドリブ演出という感覚。
― 広告の仕事は、そういうことがやりにくいですよね。
事前に企画を固めてることが多いですからね。でも、現場でやってみて、あ、これはおもしろくないぞ、という気配がしたら、変えていく事も大事だと思います。パズルと協働した日産自動車の「あ、安部礼司」WEBムービーなんかは、ロケの途中でどんどんアイデアを進化させていきました。もちろん、広告主のマーケティングという大目的はあるわけで、アーティストエゴで言ってるんじゃないですよ。クライアントとの信頼関係があることが大前提です。広告の仕事も、最終的には人と人の信頼関係、というところに尽きるんじゃないかな。さっき話したけど、「これを撮りたいと思う気持ちの純度」の高さ、それが相手に伝播して、それで相手に「お前とやりたい」とどれだけ思ってもらえるか。そこを大切にしないといいものは作れないと思うんです。
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「夜のファミレス」
ベタだけど夜のファミレス。人がいない時間帯に、コーヒーを飲みながらアイデアを考える。よし、朝までにアイデアを出すぞ、っていう覚悟。店員から嫌な顔されるまで居たことも、けっこうありますよ。よく僕の席は寒くなりますからね(笑)。ということで、自分を追い込むときに、よくファミレスを使います。アイデアを考えるときは、徹底して“入り込む”。その数時間のテンションがとても好き。ものすごく忙しいほうが調子いいんですね、きっと(笑)。
― ありがとうございました。

1999年よりフリーの映像監督として活動。CM、PV、アニメーション、オープニング映像の演出をはじめ、井上陽水のCDなどジャケットのデザイン、キャラクター・デザインなどデザイナーとしても活動中。2005年には映画「落下距離・百三十センチ・鳥」で初の長編映画を監督。“第9回プチョン国際映画祭正式招待作品”に選ばれる。主な監督作品としてサザンオールスターズ『FILM KILLERSTREET(Director's Cut)』映画『99%の自殺』
外苑前広告会議05 「トコロ紋・トコロ柄 紋と紋様」

今回お招きしたのはトコロ紋、トコロ柄と呼ばれる紋と紋様の制作を中心に美術/建築/デザインの周辺で活動を続けるアーティスト野老朝雄(トコロ アサオ)さんです。「トコロ紋・トコロ柄 紋と紋様」のお話を中心に様々なWorksを紹介していただきました。
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CI
■愛・地球万博TOYOTAパビリオン
2003年くらいから着手されたこの企画では蝶々をシンボルに。とのお題だけが決まっていた。
野老さんは素直な気持ちでコンパスを取って黄金率を用いた円を描きシンプルな蝶々を制作、またその比率などが正しいかなどを知り合いの数学者の方に計算の裏づけをとっている。
それを当時担当していたフランスの演出家イヴ・ペパンさんにその比率の裏づけなどの証明を説明した上で見せたところ、すんなりとパビリオンのシンボルに決まったという。
このシンボルが決定した所で後日何かしら変更や修正依頼がくるのではと考えていたそうだが、
何の使用変更もなく採用され、これにはご本人たちも驚きを隠せなかったとの事。
また参加していた他のデザイナー達ははリアルな蝶々を提案して全てどれも決定までには至っていなかったようである。

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私も何かを作るとき、必ず何かしらの修正などのフィードバックがあるだろうと考えていたり
むしろなんの変更もなくOKがでると逆に不安になったりするものなんですが・・・。
この円でできた蝶々のシンボルのカタチ、コンセプトがとてもしっかりしていて私も修正する部分が浮かびません(笑)
野老さんが「たまたまトンネルからすんなり出れた」と語っておられましたがここまでしっかりと裏づけをする姿勢が凄いとしか言えません(汗)
当時、私が愛知に住んでいたこともあってTOYOTAパビリオンにも足を運びましたが蝶々のシンボルマークは今でも印象に残っています。シンプルでいて円と組み合わさる蝶々のマークが印象的でした。
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次に蝶々のシンボルマークとともに17字でまかなえる、MとE、3やLとVを兼用したフォントタイプを制作、
野老さんは建築をやっていた事もあり、このフォントタイプはパビリオンの建築視点で金型の費用を抑えるためのエコ設計で考えられている。
またパビリオンのブースにもこちらのフォントタイプのクロスワードパズルを設置し、パビリオンの体験する待合時間をつぶせるよう考えられている。

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野老さんは20代まで建築を勉強しており図形をいじるのが好きだったそうですが
なんだか待ち合わせ時間をうまく消化させている点でもエコで素晴らしいですね~!
建築家的な目線でもあるのだと思います。
また構想として円を組み合わせて蝶々がまたスポットライトを重ねると蝶々になるよう考えていたり
幅の広がるCIのお話がとても面白かったです。
ちなみにこちらのパビリオン基本設計は次にご紹介する建築家ユニット“みかんぐみ”が担当されています。
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■みかんぐみ
みかんぐみの既存のロゴのリデザインを依頼された野老さん。ロゴをあまり変えるのではなくあくまで継承したデザインにしようと意味付けの強化、ブラシアップを図った。そこでみかんを地球儀に捉え、みかんのヘタの位置を地球の傾きや4人のメンバーの拠点、居住地点である横浜の馬車道とフランスのパリの位置関係を元にヘタのバランスや位置を決め、現在のシンボルマークが出来上がった。

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名前に合わせたロゴタイプがかわいらしいですが、みかんくみの名前の由来は、メンバーの娘が通っていた保育園のクラス名からきているようです。ロゴの制作工程や試行錯誤されたボツ案なども見せていただきましたが面白かったです。アイディアソースの段階や人のノートって結構見れるものではないのでかなり貴重な体験ができて興奮しました!
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トコロ紋・トコロ柄
■マグネット
今回、会場内でも貼らしていただいたどの向きにくっつけてもピースが繋がる「トコロ紋」
繋がる模様をテーマに意識して作り始めたもので、新日本様式100選にも唯一個人で選ばれている作品でもある。三角形、四角形とカタチがあるが今年に入って六角形verを制作されているようだ。
トコロ柄は様々な試作が重ねられており一つ一つ違う模様になるよう意識。野老さんがちょうどテロに衝撃を受けた際、1日10個ずつ作り始め、それが1ヶ月で300個以上に段々と増えていき、最終的には3ヶ月で約1000個制作していたそう。

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やってみると解かるのですがつなげる事で多様な模様の表情がみえ、はりつけていくのが楽しくなってきますw
トコロ柄のハンコ型もおかせて頂き、Peace(平和)をテーマに円が3つ繋がった紋様など版画された作品も展示させていただきました。
野老さんがちょうど唐草模様を調べているときにドラえもんが浮かんで、調べてみたら意外と
載っている回数は少なかったという珍エピソードも、
そういわれてみればなんとなく印象的に残っていますね。
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最初に制作した繋がる模様はVolksWagenでの仕事、虫を描くお題で車の内装にて使われ雄、雌が折り重なっておりカラフルでいて綺麗な紋様になっている。
その他、製品としてはISSEY MIYAKEのPLEATS PLEASEのトートバックの繋がる柄のトートバック。

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こちらもシンプルで格好良かったです。少量生産で今は手に入らないとの事、うーん残念。ほしいなぁ。
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■TIGER(パチンコ店)
美術館だと勘違いされるほどの大きな紋様と大きなロゴの建築のサイン計画も行なっている。
低予算であるアルミ2mmのビス止めでできたこの美しい模様は、見る角度を変えると模様が変化して見える仕掛けになっている。
TOTOのショールームなど、グッドデザイン賞を取ったユナイテッドシネマ前橋の床の模様のデザインも手がけている。建築会社で関わり、インスタレーションを頼まれることも多いという。
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ここでも建築家視点で見える野老さんだからこその発想だなぁと思いました。
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■あいちトリエンナーレ2010プレイベント
野老さんが愛知芸術文化センターの階展望回廊へ出向いたときに
ガラス窓が連続して並びを見て雲のシルエットをおきたいと思いつき、ガラス窓36枚に、雲のカタチをした紋様を貼っていく事を考えた。この連続して見える雲のシルエットは歩いていくと微妙に紋様が変化しており、歩きながら見ていく事でその変化を楽しめるアナログなアニメーションのようになっている。

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特にプレゼンで見せて頂いた写真では西日にあたる雲の紋様写真が綺麗で雲の紋様から太陽が顔を覗かせているようでした。
この他、展示会などのイベントでは「Art BankやDesign Tide」、「セントラルイースト東京」といった所などにも出品、トコロ紋スツールやトートバックのインスタレーションなど様々な展示を行なっているようです。これを機に要チェックですね!
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― やっていきたいこと
政治が困難な北朝鮮などへトコロ紋・トコロ柄はを持って行き、見つなげて遊べるインスタレーションとして取り組んでいきたいとの事や
トコロ紋・トコロ柄は難しい説明をせずともすぐに理解できるものなので、海外視野での展開も考慮しこれらのツール一つ一つで乗り込んで行きたいと思っていると野老さん。
また野望としてはガスタンクをトコロ紋・トコロ柄で埋めてみたい。と語る。
元々自分の名前を出したいという思いが強かったと野老さん。
OUTという文字をとって、横にすると“トコロ”と読める遊びを持たせたものを自分のマークにしている。
これからも文様や図形を作る事はライフワークとしても続けていきたいと熱く語っていた。
アートの場所だとデザイナー、デザイナーの場だとアーティストとして見られる事が多い、だから自分はその間の領域を作っていければいいなぁ。と語っておられた。
また柄、無数の柄が作ったときの自分のありなしの判断基準への質問に、
図形のバランスが微妙なものだと忘れてしまったりする、すぐに思い出せるものだったり再現できるものが良い(みかんぐみのヘタとみかんの大きさは10対1整数でできている)。
しかしロジカルすぎても面白くないと考えているのでぐっとくるもの、偶然に生み出した感覚は大切にしたいという解れば誰でも起こす事ができる再現性と意外性をモットーにしているそうである。
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このほかにも東京における日照時間を測り図形化したカレンダー、トコロ柄のスノーボードのお話、エッシャーのメタモルフォーゼに影響を受けたりしたなど様々な作業中のエピソードも聞かせていただき笑いもある楽しい交流会になりました。
またお話後、皆さんにもトコロ柄を貼っていただく機会も作られ本当に楽しんでいただけたかと思います。
お話を聞いていて本当に図形への愛情が伝わってきました。
野老さん、ホストのイクシノさん、および参加者のみなさまありがとうございました。
パズルハウスでは、今回のような広告に関係する各界のスペシャリストをお招きする
「外苑前広告会議」を定期的に開催して行く予定です。

06 年10月に「株式会社マキビシ」として熊沢新之助、内山慎太郎のユニットでスタート。シンプルな「オモシロイ」を追求する会社。漫画、映画、ファミコンをインスピレーションに、趣味色の強い仕事をこなしている。合言葉は「気合」。
http://makibishi.co.jp/
e-mail:postmaster@makibishi.co.jp
TEL: 03.3462.1415 FAX: 03.3462.1419
〒150-0021渋谷区恵比寿西1-30-9 パサージュ代官山#C
株式会社マキビシは、そのユニークな作品性で注目を集めた「マキビシコミック」で知られるWEB制作会社です。熊沢新之助さん・内山慎太郎さんの2人のユニットで、オリジナルコンテンツをはじめ、広告領域においても、個性的な作品を次々とリリース中。「One show Interactive」「NY Festival International」といったコンペティションでの受賞など、海外での評価も高まっています。
代官山の駅近く、2人の創造の拠点であるオフィスにおじゃまして、マキビシの活動についてお話をうかがいました。
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(熊沢)設立したのは、2006年10月です。当時、わたしはWEB制作会社に所属していたんですが、そこでの仕事と、自分がやりたいこととの間にギャップを感じることが多くなって独立することを決めたんです。その時に、内山に声をかけました。
(内山)僕たちは、元々は小学校時代の友達なんですよ。僕は、当時はデザイン事務所で、紙のデザイナーをやってました。僕はあまりWEBにはなじみがなかったんですが、熊沢と組んでやれば、たぶんおもしろいものができるだろう、と。
― 自分がやりたいこと、というのはどんなことをイメージされてたんでしょう。
(熊沢)日本のWEBサイトって、あまり個性の強いものがなくてつまんないな、と。海外のWEBサイトなんか見ると、とってもクセが強いものがありますよね。個性でコテコテといってもいいくらいの(笑)。日本のWEBサイトも、もっと個性の幅があってもいいはずだ、と思ったんです。個性の強いもの、自分たちの個性を感じられるものを作っていきたい、ということですね。
― 「マキビシコミック」がその第一弾ですね。
(熊沢)まずは、マキビシとして「名刺がわり」になる作品をつくろう、と思って。こういうことをやりたいんだ、という意思表明になるようなもの。会社設立のドタバタが終わったあと、最初の数ヶ月は「マキビシコミック」の制作に全ての時間を使った、という感じです。
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(熊沢)とりあえず「コミック」と言ってますが、土台は「ゲーム」です。画面のあちこちに謎を解くヒントが隠されているので、それをクリックして発見しながら、世界を旅して5人の忍者を探し出す、というストーリーになってます。原画はすべて内山が描いています。それを、僕がFLASHにプログラムして、音をつけました。
(内山)原画は、手で描いたものです。自分たちの作品、ということもあって、何の制約もなく描いたものなので、自分のイラストの好みが濃厚に出ています(笑)。カワイイとキモチワルイの中間というか。あまり日本ではメジャーな路線ではないですが、自分たちの「名刺がわり」になるものですから、好みを曲げずに描きたいものを描きました。
― 公開されてからの反響はどうだったんですか。
(熊沢)海外からの反響が早かったですね。米国のゲームサイトに取り上げられたんです。日本のクレイジーなクリエーターがおもしろいものをつくってる、と(笑)。そのWEBサイトは、世界中のWEBクリエーターやゲームクリエーター、熱心なゲームファンがチェックしているメディアでしたから、その記事をみてそうした人たちがアクセスしてくれて、彼らを起点にして話題が広がっていきました。世界中からたくさんのメールをもらいました。
(内山)海外の人って、どういうわけか「忍者」が好きなんですよね(笑)。忍者のキャラクターを使った世界観がすごくツボにはまったみたいです。社名も「マキビシ」(撒菱。忍者が用いる道具のひとつ。逃げる途中にばら撒くことで追手に怪我を負わせる)ですしね(笑)。
― まさに「名刺がわり」の作品になりましたね。
(熊沢)これ自体では全く儲かってないのが問題なんですが(笑)。ともあれ、「マキビシコミック」で、国内外の賞をいただいたり、雑誌の取材がはいったり、と世の中から注目してもらえたことは成功といっていいんじゃないかと思います。
(内山)「マキビシコミック」の系列では、つい先日「Seven」というゲーム作品をリリースしたところです。ある惑星が舞台になっていて、7つのステージを冒険していくストーリーになっています。3D空間なんだけど、一方向にしかすすめない、といういわば2.5D作品(笑)。レトロっぽい、というかアナログっぽい独特の世界観で、マキビシらしさを堪能していただける作品になったと思います。こちらもぜひアクセスしてみてください。
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(熊沢)「マキビシコミック」や「Seven」のようなオリジナルコンテンツはもちろんですが、広告もまずはシンプルに「オモシロイ」ことが大切だと思うんです。最初の段階で、積極的に「見たい!」と思わせられなければ、肝心のマーケティングメッセージまでたどり着いてもらえないですよね。特に、WEBサイトを広告として使う場合は「オモシロイ」ことが最重要。マス広告ならコンテンツを見るついでに見てもらう、という成立の仕方でいいんですが、WEBサイトはそれ自体がコンテンツでもあるわけですから。せっかくお金をかけるんですから、「オモシロイ」ものでないと。そうでないなら、お金を広告以外の他の施策に使ったほうが効率がよいのでは…と思います(笑)。
― そういう意味でうまくいった広告にはどんなものがありますか。
(熊沢)2008年のエイプリルフールに、ヤフージャパンで公開された「SPACE INVADERS INVADE YAHOO! in April Fool's Day.」は、マキビシらしいアウトプットだと思います。スペースインベーダー30周年、ということで、タイトーさんが年間を通じて様々な仕掛けをされた中のひとつです。ヤフージャパンの画面に、突然インベーダーが出現して、ヤフーの画面を破壊していく、という表現になっています。最後にはヤフーに反撃されてインベーダーたちが謝る、というのがオチなんですけど(笑)。タイトーさんからコンペに出てみないか、とオファーをいただいて、提案したらとてもおもしろがってくださったんです。かなり自由にやらせていただきました。
(内山)ABCランドという企業のコーポレートサイトも楽しんでやらせていただいた仕事です。コーポレートサイトなのに、ゲームのようなインターフェースになっていて、社員の皆さんにキャラクターとして登場していただきました。サイト上を行き来しているキャラクターに話しかけると、各社員のブログを見ることができる、というものです。ブログが話題になりはじめて間もない頃で、社員がそれぞれブログを書いたらおもしろいんじゃないか、というアイデアですね。「コミュニケーション・エントランス」というコンセプトで提案しました。
― マキビシらしさ、というのはどういうところにあるんだと思いますか。
(熊沢)僕たちは、子供の頃に見たエンタテインメントにとても強い影響を受けています。まずはコミック。ちょうど「少年ジャンプ」が最も部数を出していた頃の小学生だったんじゃないかな。それにファミコンをはじめとするゲーム、それと映画。だからといって、コミックをやる、ゲームをやる、映画をやる、というと、それぞれの領域には、それぞれ優れた才能がいますから、自分たちの出番はない。それらのジャンルを横断したところ、掛け合わせたところで「オモシロイ」ことをやる、というのがマキビシらしさかな、と思います。WEBというメディアはそういう志向性に向いてるんじゃないでしょうか。
(内山)といっても、他のWEBサイトからはあまり影響を受けないんですよね。漫画の構図とか、ゲームの操作感とか、そういったものからの影響のほうが大きい。WEBのテクノロジーですごいことができるようになった、としても、そういうところからはあまり影響されない。例えば、3D空間をフルで実現できる最新技術があって、それを採用したとしても良い作品になるとは限らない。さっき紹介した「Seven」のように、構図や操作感といった「オモシロイ」の追求が先で、3Dか2Dかというのは二義的なことなんです。
― マキビシらしさ、というのはどういうところにあるんだと思いますか。
(熊沢)オリジナルコンテンツのリリースは今後も続けていきたいと思っています。「マキビシコミック」や「Seven」といったWEBコンテンツの他にも、いろんな活動にトライしていこうと。例えば2008年に作った「トレカレ」というトレーディングカード形式のカード型カレンダー。渋谷・原宿・代官山近辺の雑貨屋、デザインギャラリー、インテリアショップ等で無料配布しました。各ショップには数十種類のカードがあって、全部のカードを集めると54枚のコレクションになる、という企画です。活動の場をWEBに限定せず、また、いろんな企業やクリエーターの方と柔軟にコラボレーションしていけたら、と思っています。

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「少年のココロ」
(内山)僕は、マンガを読んだり、ジブリ映画を観たりする時間がインスピレーションの源。いわば「少年のココロ」というやつかなぁ。
「風呂や寝る前」
(熊沢)僕は、風呂に入ってるとき、それと布団に入って眠りに落ちる前。アタマが整理されるんですかね、こういう時に、ふと変なことを思い出すんですよ(笑)。昔、こんなこと考えてたなあって。それで思い出したことをあれこれ考えてると、パッと現在の事柄とアタマの中で線がつながって、新しいアイデアが生まれるんですね。風呂と布団が閃きの源です。
― ありがとうございました。

1980年生まれ、町田の農家育ち。WEB制作会社を経て、マキビシとして独立。FLASHのオーサリングを得意とし、さまざまなプロジェクトに参加。合い言葉は、「気合い」。無類の忍者好き。 (写真左)
1980年、神奈川生まれ神奈川育ち。グラフィックデザイン会社で某アイドル関連の仕事を経て途方に暮れていたところを熊沢氏に拾ってもらう。ジブリ映画とROCKを好む。尊敬する人物は本田宗一郎。(写真右)







